『Number 208 特集 早稲田ラグビーの70年』ほか

吉祥寺にて、すべて100円。きっと誰かが一度に捨てちゃったんだ。それをぼくが一度に買っちゃったんだ。
以下自分向けの覚え書き。

『Number 208 特集早稲田ラグビーの70年』昭和63年12月5日発行

同年1月15日の日本一(対東芝府中(永田主将))特集。発売日からすると早明戦前の特集ということか。今はNumberの大学ラグビー特集はシーズン後の一回になってしまった。そして大学チームの優勝も難しくなってしまった。藤島大氏や松瀬学氏など今も現役のラグビーライターがすでに寄稿している。そして大西鉄之祐*1のインタビューもあり。この一月前に「ラグビー荒ぶる魂」(岩波新書)を出している。

『荒ぶる魂』昭和63年2月7日発行

上記優勝の直後。サンスポ特別版。前年87年にアイルランドに遠征(全早大として。益子主将)。その遠征期を後に大学総長となる奥島考康氏(法学部教授(当時)遠征団長として同行していた)が書いている。

早明戦全記録 日本ラグビーの華 早明戦60年の激闘譜』 昭和57年12月20日発行

内容は前年の56年まで。当時監督は植山信幸氏(当時29歳!)益子俊志氏が主将。なお同年の明治主将が昨年まで明大監督を務めた藤田剛氏。ところでチームアンケートのなかに当時四年の藤島大氏、松瀬学氏の名前も!

『熱闘!早稲田ラグビー ―荒ぶる魂の記録―』昭和52年11月20日

ラグビー部OBによる荒雪編集部編。しかし驚くことに発行は講談社。日付からするとこれは早慶戦前に販売したのか。この本の見物は夏の菅平特集。同年の主将は伊藤隆氏。氏は残念ながら春シーズンの終わりに病気療養することになり、主将代行を副将の松本純也氏が務めた。巻末部員写真には当時一年生の奥克彦氏の写真があった。奥氏は翌年の8月に外交官になるための公務員試験を目指すため退部することになる。その後無事試験に合格し外務省へ。オクスフォード大学に留学した際にはラグビー部にも所属し活躍した。2003年からはイラク復興に尽力するが、2003年11月29日凶弾に倒れる。紹介記事には次のようにある。「高校時代、全兵庫高校代表に選ばれる。早稲田入学後WTBよりFBに転向、そのプレーぶりは植山(横河電気)の一年生の時に似ているとの評判が高い」とある。

ようやくわかりました!

○併せて読みたい

早稲田ラグビー 再生プロジェクト

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日本を想い、イラクを翔けた―ラガー外交官・奥克彦の生涯

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知と熱―日本ラグビーの変革者・大西鉄之祐

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ラグビー大魂(DAI HEART)

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大西鉄之祐ノート「荒ぶる魂」―早稲田ラグビーの神髄

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闘争の倫理―スポーツの本源を問う

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ラグビーとイギリス人―ラグビーフットボール発達の社会学的研究

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以上関係者。
スポーツと文明化―興奮の探求 (叢書・ウニベルシタス)

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ちょっと違いますがこの辺も。
オールアウト―1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組

オールアウト―1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組

未読。今以前再販ドットコムに投票したような。

*1:鉄の字は旧字