『考える人2009年2月号 書かれなかった須賀敦子の本』

考える人 2009年 02月号 [雑誌]

考える人 2009年 02月号 [雑誌]

☆☆☆☆☆。
読んだ。発売二ヶ月を経てなお平積みで置いている素晴らしい阿佐ヶ谷書原で購入*1。エッセイの名手須賀敦子の最初の小説となるはずだった最期の小説、「アルザスの曲がりくねった道」をめぐって一緒に取材旅行をした編集者の回想や、池澤夏樹氏や堀江敏幸氏の論稿そして遺された未定稿を収録。須賀さんのことを考えるのは難しい。調べれば調べるほど対象の大きさに慄いてしまうからだ。だからこの雑誌を読んだ率直な感想は「うまいな」ということだった。そもそも須賀さんの仕事を大別すれば①翻訳②エッセイ③そしてこの「書かれなかった」小説に分かれる。このうち①翻訳②エッセイではなく③須賀敦子の小説、わずかに一篇、それも破片として残された最後の作品を再構成することは、まず単純に物理的量という意味で難しいことではないように思えた。まず須賀敦子にはエッセイとしては生前に5冊の本がある。さらに翻訳としては、翻訳作品ばかりでなく研究者としての論稿など、単純に数を考えても―英語、フランス語、イタリア語という多言語という意味でも―比にならない。また結果としてアルザスを題材にしたこの小説は須賀敦子にとってのフランスをめぐる旅となった。結果として須賀さんにとって人生の契機となったイタリアは後景に留まることになった。たとえその人生の到達点にこの小説があったにせよ、いや須賀敦子という、まさにその人生をまがりくねった道―イタリア―を歩いた作家であるからこそ、本当に須賀さんのことを考えるには、遺されたエッセイ、翻訳作品の膨大な作品群を通じて須賀敦子を考えなければいけない。この意味で収録論文のなかでは「須賀敦子シモーヌ・ヴェイユ」をテーマにしたた冨原眞弓氏の「アッシジヴェイユ須賀敦子」は須賀敦子にとっての宗教(アッシジのフランチェスコ)、巡礼としての宗教から社会活動としての宗教までを考察にすることになるすぐれて射程の長い論稿だった。しかし、須賀敦子に正々堂々と向き合うならば、―長々書き連ねてお前は一体なにが言いたいのだというと、まさにこの須賀さんであるからこそ、正々堂々であることがなにより重要であると思われるのだ―この特集のあとがきとして書かれている「編集部の手帳 ペッピーノが書いた詩」にも書かれてあるとおり、この小説「に至るまでの、最初の一歩を踏み出すきっかけとなったナタリア・ギンズブルグ」こそ須賀敦子を考える上で唯一(にして最難関)の作家に思われた。山はなお高く、道はなお遠い。(以下続く)。

○これも読まなきゃ!

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マンゾーニ家の人々

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*1:ってまだ読んでなかったんだね?これ出たの昨年末だよ。うん、出たのは知ってたけど。それになんどかパラパラめくってみたけど。でもどうしても買う気にならなかったんだよね。で、いきなり今日買って読んでみた、と。でどうだったの?読んでみたら一気に読んでしまった。で読みながらそうかぼくはこの本を読むのにその時機をずっと待っていたんだなあって。ぼくがこの本を読むにはふさわしい時間、ふさわしい場所を必要としたんだって、そんなことを考えながら読んでいたよ。ふーん、気持ちが高ぶっちゃったんだね。なんと言ってくれてもいいよ。