千代田区図書館にて。

ひょんなことから、図書館カードを作って本を借りることになった。区内在住、区内勤務ではない人でもいいらしい(貸出冊数に違いはあるが)。祝日の午前だというのに、お勉強をしている人の多かったこと。ところで、ちょうど災害時帰宅困難な人たちのウォーキングに遭遇して、区役所のトイレに長蛇の列が出来ていて邪魔だった*1。新宿くらいまで歩くのかしらあの人たちは。それくらいなら自転車で日常的に通っているが、それでも歩いていくなんて、とてもじゃないがお断りしたい。

以下の本を借りたよ。

ピエール・ババン 小此木啓吾監修『フロイト―無意識の扉を開く』(知の再発見叢書24)創元社

フロイト:無意識の扉を開く (「知の再発見」双書)

フロイト:無意識の扉を開く (「知の再発見」双書)

表紙はクリムト*2精神分析入門」の参考に。

あと二冊。期せずして紀伊国屋書店が二つ。

スラヴォイ・ジジェク 鈴木晶訳『ラカンはこう読め!』紀伊国屋書店

ラカンはこう読め!

ラカンはこう読め!

標準的な見方からすれば、主体性を構成している次元は現象学的な(自己)経験の次元である。次のように自分に言えたならば、その瞬間に、私は主体になる。「どんな正体不明のメカニズムが私の行為、知覚、思考を支配していようとも、私がたったいま見て感じていることを何物も私から奪うことはできない」。たとえば、私が激しい恋愛をしているときに、生物学者が私に、私の強烈な感覚は私の身体の生物化学的なプロセスの結果にすぎないと言ったとする。私は見かけに固執してこう答えることができる。「あなたが言っていることはすべて正しいかもしれないが、それでも私がいま経験している激しい情熱を何物も私から取り上げることはできない」。しかしラカンは言う、精神分析家はまさにそれを主体から取り上げることができる、と。分析家の究極の目的は、主体の(自己)経験の宇宙を規定している根本的幻想そのものを主体から奪うことである。無意識というフロイト的主題は、主体の(自己)経験(彼の根本的幻想)の最も重要な側面が初源から抑圧されていて、主体にとって接近不能となったときに、はじめて登場するのである。接近不能な元璋とは、最も根源的なレベルにおける無意識であり、私の現象的経験を規定する客観的メカニズムではない。したがって、常識的には、ある実体が内的生活(外的行動に還元できない幻想的経験)の徴候を見せたなら、そこにあるものは主体と考えるわけだが、これとは対照的に、われわれは以下のように主張すべきである。すなわち、人間の主体性を特徴づけているのはむしろ、外部と内部を隔てている落差、つまり幻想がその最も基本的なレベルにおいて主体にとって接近不能なものになるという事実である。ラカンの言葉を借りれば、主体を「空虚」にするのはこの接近不能性なのである。
 かくしてわれわれは、主体は内的状態を経由して自分自身をじかに経験する、という標準的な考え方を全面的に転倒するひとつの関係を手に入れる。空っぽで非現象的な主体と、主体にとって接近不能な諸現象との奇妙な関係である。いいかえれば、精神分析のおかげで、われわれは主体のいない現象学という逆説的な公式を打ち立てることができる。生起する諸現象は、主体の現象ではなく、主体にあらわれる現象である。そこに主体が含まれていないということではない。だが主体はまさに排除され、分割され、彼あるいは彼女の内的経験のいちばんの中核を担えない審級になっている。


リチャード・E.ルーベンスタイン 小沢千重子訳『中世の覚醒 アリストテレス再発見から知の革命へ』紀伊国屋書店

中世の覚醒―アリストテレス再発見から知の革命へ

中世の覚醒―アリストテレス再発見から知の革命へ

思ったより全然、学術書ではなかった。アリストテレス哲学の「発見」(受容)の観点からみたキリスト教スコラ哲学史。ところでオリジナルタイトルは、Aristotle's Children。 それなら、「アリストテレスの子どもたち」でいいじゃないか*3

080928読んだ。面白かった。次はこれに挑戦だ。

普遍論争 近代の源流としての

普遍論争 近代の源流としての

この本を最初に発見したとき、なにを血迷ったか、普遍論争を普墺戦争(1866)と読み間違えていた。「普墺戦争―近代の源流としての」ってすっごい気になるでしょ。

ちなみに、こんなものもあり。

ハイデガーの子どもたち―アーレント/レーヴィット/ヨーナス/マルクーゼ

ハイデガーの子どもたち―アーレント/レーヴィット/ヨーナス/マルクーゼ

*1:その後知人がこのウォーキングというか訓練に参加していたことが発覚。新宿どころか和光市まで歩いたらしい。ごくろうさまどえす。

*2:口絵に連作「ベートーベン・フリーズ」の一枚。中公文庫の「精神分析入門」は表紙に「接吻」。フロイトクリムトのこの親和性。

*3:本文中に「アリストテレスの孫たち」が出てくるので、やめたのかしら。