『変身』

変身―カフカ・コレクション (白水uブックス)

変身―カフカ・コレクション (白水uブックス)

☆☆☆☆★

読んだ。巻末の訳者によるカフカ解説および作品読解を読んだらもう一度本編を読みたくなってしまい一気読みしてしまった。訳者によると、この作品はニートやリストラの問題、または認知症介護の問題にも読み換えができるというのだが、これを先に読んでしまったものだから、どうしてもこうにしか読めない。虫になってしまったグレゴール・ザムザが、自分が虫になってしまったことにはびっくりせず、目覚めがわるくて悶々としたり、身体の動かし方に四苦八苦するのは、自分の病気時の経験を思い出すと、確かにまず最初に考えることは、自分の病気が何かが確定することよりも、今自分のどこが動けなくてそしてどこが動けないのかという、瑣末なことであった(もちろん後々診療の段階で自分の病気を「病気」として考えることになったけど)。あるいは、『変身』をニートの問題に重ねあわせると、虫になったグレゴール・ザムザを見守りつつ、その部屋に閉じ込めてしまうのが家族であることが興味深い。この作品のなかで、ザムザ本人は虫になってからもそのことを受け入れて淡々と過ごしている。ザムザが虫になったことを受け入れられないのはむしろ家族のほうである。最初は消極的な関与、そして次に反発的な感情の高まり、最後には積極的な放棄。ザムザは、その存在が目を向けることの出来ない「悪」として家族の中に侵食していくのだ。部屋に閉じ込められたグレゴールは食事を経って衰弱してゆく。訳者が述べるとおり、このときこの部屋の時間感覚はかなり希薄になっている。この前後からこの部屋の時間的な経過は不明瞭になり、その季節がよく分からない。そして、ついにザムザは緩慢な死を迎える。虫になったことについて作者はそこに一切の理由を排除しているのだが、それを素朴にザムザの怠慢(今日は起きたくない、仕事に行きたくない)と捉えると、ささやかな怠慢こそが、緩慢な死への最初の一歩だったということになる。←と書いてみたことが自分でも驚いてしまうくらい、あまりにも凡庸な読解に思えて横線を引くことにした。思っていても書いちゃいけないことだった。ここは作者の意図に従いザムザは、「よくわかんないけど虫になっちゃった」と考えた方がよさそうだ。不条理ということではなくて、単純に理由がないということ。