中野で

アビ・ヴァールブルク『異教的ルネサンスちくま学芸文庫

異教的ルネサンス (ちくま学芸文庫)

異教的ルネサンス (ちくま学芸文庫)

読んでいてこんなに???になる経験も久しぶりだなあ。どんだけ難しいっちゅうねん。
ちなみに入っている論文は次の三つ。
「イタリア美術とフェッラーラのスキファノイア宮における国際的占星術
「ルター時代の言葉と図像に見る異教的=古代的予言」
「東方化する占星術

スキファノイア論文から最後のところ。

美術史はこれまで不十分な普遍的発展史のカテゴリーゆえに、それがもつ材料を確かにいまだ書かれてはいない「人間表現の歴史的心理学」に自由に使わせることを可能にはしてこなかった。われわれの若い学科はあまりに唯物論的な、あるいはあまりに神秘主義的な根本動向によって世界史的な眺望を自らに禁じるのである。この学問は政治史が教える図式と天才信奉の教義の間で自己の発展理論を見出そうと、いま模索を試みる。私はフェッラーラのスキファノイア宮フレスコ画連作解明のために用いた私の方法によって以下のことを示すことができたならば、と願っている。つまり国際警察のごとき偏見にひるむことなく古代、中世、近世を相互に連関し合う統一体として捉えることも恐れず、また最も自由で最も応用的な芸術作品を表現記録として同等な対象とみなすことも恐れることのない図像学的分析、こうした方法によって個々の暗闇が一つ一つ細心に解明され、そうすることにより、ついには普遍的発展の流れが一つの大きな連関の環となってその姿を現すことになるのだということである。私には皮相な問題の解決よりは新たな問題の提起の方が重要であった。この問題は次のように定式化できよう。「人間的形象の表現における様式上の激変がイタリア美術において生じたのは、いかなる程度まで、イタリア美術が東地中海諸民族の異教的文化のうちに生き残っていた図像的諸観念と、国際的背景をもとに対決格闘した結果ゆえなのであろうか」。
芸術的天才という不可解な出来事に対する熱狂的な驚異の念は、われわれが天才とは恩寵であり、そして同時に自覚を伴う対決の力であることを認識するときにのみその強度を増す。イタリアの芸術的天才がわれわれに授けた新しい偉大な様式は、中世的、東方的=ラテン的「実践」からギリシア人間性を解放しようとする社会的意思に根ざしていた。古代復興のこうした意思とともに「良きヨーロッパ人」は、国際的な図像大移動の時代、つまりわれわれが―いささか神秘的に過ぎる言い方ではあるが―ルネサンスと呼ぶ時代に啓蒙をめぐる戦いを始めたのである (p041-042)。